私たち南区は、三韓時代には弁韓に属していたが、大伽耶が出来ると金官伽耶に属し、三国時代には新羅の大甑県に属した。 統一新羅時代には東莱郡と称し、高麗時代まで東莱に属していたが、朝鮮時代初期は東莱津に、英祖の時は東莱府7面のうち、東面と南村面に属した。 その後、行政区域改編で西下面と龍珠面に編入されたが、1936年4月1日、東莱郡龍珠面、南面の一部が釜山府に編入されて、釜山津出張所の管轄となった。その後の変遷過程は次の通りである。